こんにちは。4ミニ.net運営者の北です。
1958年(昭和33年)8月に登場以来、スーパーカブは日本はもちろん、世界各国で活躍してきました。
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モンキー用エンジンのベースとなった横型エンジン、左手でのクラッチ操作を省いた自動遠心式クラッチ、17インチのスポークホイールなどを装備。エンジンや足周りの基本設計は、誕生以来変わることなくほぼ同じです。
そんなカブも時代の変遷とともに、ハンドル周り、ライト周り、レッグシールド、リヤの荷台等々、細部のデザインは微妙に変更。中でも初期型は「カブの中のカブ」と呼ばれ、フリークの間では特にリスペクトされており、今でも人気が高いのがポイントです。
写真は「カブの中のカブ」、スーパーカブの1号機、C100。
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目次
初代カブに採用されたOHVエンジンの特徴
C100はOHV(オーバーヘッドバルブ)49ccエンジンを搭載。OHVはプッシュロッドという長い棒を介してロッカーアームを動作させ、バルブを開閉させるのがポイントです。
現行型のOHCエンジンに比べ、OHVエンジンは高回転域でのバルブ開閉が安定しにくいのが特徴ですが、正統派カブフリークにはいまだ根強い人気。 ちなみにこのOHVエンジンは現行のOHCエンジン同様、エンジン自体が非常に頑丈なため、きちんとメンテナンスを行えば年式は古くてもまだまだ元気に動いてくれます。
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写真下は初代カブC100のエンジン部分。舗装路よりも未舗装が多かった昭和30年代ならではのアイテム、エンジンガードが標準装備されています。
テレビアニメにみる昭和のスーパーカブ事情
過日、懐かしのアニメを特集したテレビのバラエティー番組が放送されていたのですが、その中で『ド根性ガエル』が取り上げられていました。このアニメは僕が小学生だった夏休みの午前中、よく再放送されていました。
劇中では、主人公の平面ガエル『ピョン吉』と中学生『ヒロシ』がアニキと慕う『梅さん』なるアゴの大きな男が登場します。彼は「宝寿司」という寿司店に勤める、熱血漢と人情味に溢れた、オッチョコチョイで涙もろい、アントニオ猪木のような顔をした元不良少年の20代の青年という設定です。
梅さんは寿司の配達にカブを使います。彼は配達中に男女のカップルを見かけると、「いよ!お二人さん」と羨望混りに二人をからかい(梅さんはヒロシが通う下町中学のヨシコ先生に惚れているが、同じ下町中学の教師であるガニ股の南先生とは恋敵)。それに気を取られて電柱に激突。配達中の寿司を道路にぶちまけ、ブルドック顔の「宝寿司」の主人にこっぴどく怒られるという悪いクセがあります。
僕は久々にその姿を見て、「おや?」と思いました。梅さんはスロットルの反対側、つまり左手に“岡持ち”を持っているのです。
岡持ち(おかもち)とは料理や食器を持ち運ぶ時に用いる箱のこと。風情のある昔ながらの木製の岡持ちは、今でも製造・販売されています。
『ド根性ガエル』は1972年(昭和47年)から1974年(昭和49年)まで放送されたテレビアニメ。当時はまだ、梅さんのように左手に岡持ちを持ち、出前にいそしむ人もいたのでしょうか。
テレビCMでは「おそば屋さんの出前の右手でラクラク」とアナウンス
カブは1958年(昭和33年)に発売。左手で岡持ちなどを持って走行できるよう、左手でのクラッチ操作を省いた自動遠心クラッチとシーソー式チェンジペダルを採用しているのが特徴です。チェンジペダルを踏み込むと、「ガチャン」という音とともに1速にシフトさせるしくみです。
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「おそば屋さんの出前も右手でラクラク」
これは当時のテレビCMのナレーション。左手に木製の岡持ちを持ち、カブを運転する梅さんのような出前持ちの映像も流れていました。
左利き用のアイテムをオプション設定
ディープなカブフリークならご存知でしょうが、オプションとして右手で岡持ちを持つ人用(左利き用)に、『左側スロットル・左側フロントブレーキ・左側ウインカーのスロットルホルダーキット』も発売されていました。
片手運転は違反に問われなかったのか?
「危険運転を推奨するのか!」
「真似をして事故を起こしたらどう責任を取るんだ!」
このようなCMをオンエアーした日には、今なら激怒した視聴者や各方面からクレームの嵐が来ることは間違いありません。
確かに危険な行為だと思い、僕は以前、年配の知人に「片手運転の出前持ちが、危険運転によって警察に摘発されているのを見たことがありますか?」と質問したことがあります。
知人いわく、「スーパーマンのような格好でスポーツタイプのバイクに乗っていたカミナリ族(暴走族の前身の呼び名。マフラーを外してカミナリのような爆音を上げて走ったことに由来)がパトカーに追いかけられていたのは覚えている。
でもカブに乗った片手運転の出前人がパトカーに追いかけられているのは記憶にない」とのこと。
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デリバリーの革命児、出前機の登場
スーパーカブが普及する以前、出前の足はもっぱら自転車。中にはこんな人も。
ハッピとネジリはちまき姿で、うず高く積まれた重箱を右肩にかかえ、せっせと坂道を昇ってくる出前人。中国雑技団も顔負けの、見事な達人技です。出前人の表情も「苦しそう」「つらそう」というよりは、何だか楽しげです。
写真は昭和30年代の頃。当時の東京のオフィス街では昼時になると、このような光景が頻繁に見られたとのこと。ただし交通量の増加により、事故も多発。出前人がバランスを崩して重箱をひっくり返し、通行人が頭からざるそばを垂らし、口からそばつゆをピューッと吐き出すというコントはお約束ですね。
カブでも上のように走っていたのでしょうか。だとしたらかなり危険。
そこで開発されたのが出前品運搬機、通称「出前機」。出前機は自転車だけでなくカブにも普及し、片手運転する出前人は激減。やがて岡持ちも木製から頑丈で積みやすいアルミ合金製へと移行。スムーズかつ安全にデリバリーできるようになりました。
出前品運搬機
バイクデリバリーの定番、出前機。各種バネにより、路面からの衝撃を大幅に緩和。また積載台が振り子のように動作するので、コーナリング時にも積み荷が水平に保たれるしくみ。現在ではそば、中華、弁当など様々なデリバリーに活用されています。
さらに続くぞ!
実録:驚愕のテクニックを持ったトタン屋のオッサン
寿司やそばの配達だけではなかった、カブの片手運転の真実
「昭和30年後半だったかな。近所のトタン(波状になったブリキの板)屋のオッサンが、トタンを丸めて左の脇に抱え、右手のみでよく配達していた。しかも結構なスピードで飛ばしながら。その姿は、まるで曲芸のようだったよ。
当時は舗装路なんてほとんどない。道が凸凹していたから何度もハンドルを取られそうになるんだけど、オッサンはとっさに上半身をくねらせ、右足や左足で地面を蹴って見事にバランスを回復。あの反射神経と運動神経は見事だった。
でもブリキ屋のオッサンのようなテクニックの持ち主はごくごくまれで、真似をして片手運転する奴らはよく転んでたね。中には人にぶつかったり、家の中に突っ込んでケガをする奴もいた」
以上は僕の父から聞いた話。当時からカブは様々なシーンで活躍していたことが伺えます。
まだ続くぞ!
実録:日本にもあったカブの4人乗り
昭和のお母ちゃんvsお巡りさんの、静かなる駅前街角攻防戦
イラストは東南アジア某国の郊外に暮らすチャン・ゴメスさん一家、ではなく、昭和40年代後半のウチの家族。イラスト右から幼稚園児だった僕、母、乳飲み子の妹、小学生の兄。買い物に行く道中での一コマです。
今の日本では考えられませんが、僕が子供の頃にはこんな風景がよく見られました(ウチの近所だけかもしれませんが…)。重箱を肩に積み上げた、前出のそば屋の出前人とは種類の異なる、図々しさがなせるカミワザですね。カミワザ、神業、神、カミ、英語でゴッド…。確かに家の中で、母は「ゴッド」と呼ぶにふさわしい存在でした。ゴッドファーザーさながらの、ゴッドマザー。ゴッドマザーがなせるワザ。
昭和の母強し!交番の前を50ccのカブで4人乗り
当時、母は原付免許しか持っていませんでした。従って母のカブは70ccでも90ccでもなく、50cc。今も昔も、50ccの2人乗りは禁止されています。
カブ70や90には2人乗り用のタンデムステップが付いていますが(赤矢印)、
2人乗り禁止のカブ50にはタンデムステップが付いていません。乗車定員は1名。
しかし我が家は50ccのカブで2人乗りどころか、プラス2名を加えた4人乗り。3人の子供を乗せた母は安売りのスーパーを目指し、当たり前のように人通りの多い駅前を走行。加えて近所の交番の前も、何食わぬ顔で堂々と走行。今思えばツラの皮が分厚いというか、かなりいい度胸をしていました。
近所の交番には、見るからに気の弱そうな若いお巡りさんが1人で勤務していました(交番体制と治安維持の強化のため、現在は2人体制が基本です)。妹が生まれるまでは、「北さんち(我が家)は子供がまだ小さい仕方ないな」と、お巡りさんも我が家の大胆極まりない道路交通法違反を見逃してくれていました。今思えば大らかというか、かなり適当な時代だったのでしょう。
しかし交通量の増加とともに交通事故が急増し、警察も取り締まりの強化を開始。加えて妹が生まれ、乗車定員が2名オーバーから3名オーバーに増加。いくら心優しいお巡りさんとはいえ、もう我が家の違法行為を見て見ぬふりができなくなりました。
ついにお巡りさんが行動に!その時、ゴッド(母)の動向は?
定員オーバーの4人乗り走行を繰り返す母に対し、ある日お巡りさんはついに注意を与えました。
しかしゴッドマザーの母はこれに屈っすることなく、
「こないだまでは何も言わなかったくせに」
「カブの50と70の車体サイズは同じ。荷台も同じなのに人を乗せて何が悪い」
「子供は体が弱い(皆、至って健康)」
「子供が昨日、転んで足をくじいた(皆、至って健康)」
「貧乏家族にタクシーを呼べというのか(確かに金はなかったと思う)」
等々、その達者な口で、嘘半分・真実半分を織り交ぜた屁理屈をこね、4人乗りの正当性を半ば強引に主張。
これに対し、お巡りさんは気弱なりにも、
「交通事故が増え、社会情勢が変わった」
「違法は違法。私は取り締まるのが仕事だ」
と、子供の僕が聞いていても「あんたのほうが正しい」と思えるもっともな意見で反撃したのです。
気弱なお巡りさん、ひょっとして母に恋心を!?
上記のようなやりとりが数回ありました。しかし僕の知る限り、お巡りさんは反則切符を切ることはなかった。それはなぜだろう? 今思うに、彼は母に淡い恋心を抱いていたのです…。
というのは200%なく(確信をもって断言できる)、貧乏家族に対する武士の情けのようなものがあったのでしょう。
お巡りさんから「今度違反したら、絶対に反則切符を切りますよ!」とたっぷりお灸をすえられた母。少しは反省したのかと思いきや、さすがはゴッドと呼ばれた女。この程度では懲りません。今度は交番のある表通りを避け、裏通りを使うという戦術に出たのです。
裏通りは舗装された表通りとは違い、未舗装路。しかもところどころに凸凹あり。僕はこれが苦痛でたまりませんでした。
重量オーバーで完全に沈み込んだ、ダンパーのないスプリングのみのリアサスペンション。
長いストロークを確保できないボトムリンク式フロントフォーク。
凹凸を通過するたびに前後のサスペンションは「ガツン・ガツン」と底付きを起こしました。
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僕は母の前、つまりシートの先っぽに座らされていたのですが、凸凹を通過するたびに尾てい骨に衝撃が走り、「痛い痛い痛い!」「もう降ろしてくれ!」と悲鳴を上げました。ついには半泣きになりながら、「お巡りさんにも注意されたやろ!」「もう勘弁してくれ!」と訴えましたが…。母はスピードを落とすことなく、涼しい顔をして凸凹道を走破していったのです。我々が乗るカブは、さながらリジッド式サスペンション仕様。これで凹凸路を走られては、たまったものではありません。
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お巡りさんvsゴッドマザー、静かなる戦いの結末は?
「北さん一家が凝りもせず、まだ4人乗りをしている」という情報を、どこかでキャッチしたのでしょう。いつも交番の表通り近辺をパトロールしているあの気弱なお巡りさんが、やがて裏通りにも出没するようになりました。
しかしゴッドの異名をとる母は、この程度でくじけない。遠くに見えるお巡りさんを、まるで獲物をキャッチした鷹のごとく目敏く見つけるや否や、突然カブを停車。「アンタら、歩くで!」と、有無を言わせず兄と僕に命令したのです。
妹を背負い、何事もなかったかのように平然とカブを押して歩く母。まるでマフィアのボスのような貫禄のゴッドマザーの後ろを、兄と僕は非常に申し訳ない気持ちでトボトボとついていったのです。
「うぐぐぅぅ…」お巡りさんの目の前を通る瞬間、彼の唸るような声が聞こえたような気がしました。
いつもは優しそうな顔をしたのお巡りさんでしたが、あの時の苦虫を噛み潰したような、屈辱に満ちた物凄い形相は今でも忘れられません。ちなみにこんな顔でした↑
ゴッドマザー、ついにバイクを降りる…
その後、父が母を説得したのか、切符を切られた母がついに観念したのかは知らんが、母は自動車教習所に通い出し、普通免許を取得。母の足は、カブ50から中古の軽自動車にチェンジとなりました。
ほどなくして母と攻防戦を繰り広げていたお巡りさんに代わり、でっぷりと太った見るからに底意地の悪そうな中年のお巡りさんがやってきました。噂によると、あのお巡りさんは昇進して刑事になったとのこと。
「果たして彼に、包丁を振り回す望月源治(蟹江敬三さんが演じていた常軌を逸した超極悪人)のような犯人が捕まえられるのだろうか?」。僕はテレビの『Gメン75』を観るたびにそう思ったものです。でもあの時の顔のお巡りさんなら、望月源治クラスの凶悪犯にも対等に立ち向かえたのではないでしょうか。まあ、知らんけど。