ブランド(brand)とは「同じカテゴリーの財やサービスを、他と区別するためのあらゆる概念」という意味の英語。
ブランドという言葉は「このブランドには価値がある」だとか「ブランド物」などの使われ方をする。そんな中で今も昔も問題視されているのが、「偽(にせ)ブランド」。
偽(ニセ)ブランドとは、ブランドをコピーした商品のこと。
ブランドをコピーした商品は、「パチ物」とも呼ばれる。パチ物とは、大阪弁のパチる=盗む=パチったもん=パチモンが由来するという説、「うそっぱち」からきているなどいくつかの説がある。
パチ物は、しばしば「バッタ物」と混同されることがあるが、両者はやや意味が異なる。バッタ物とは適正価格よりも極端に安価な商品のこと。つまり“投げ売り”される商品だ。
正規ルートを通していない闇ルートから流れてきた商品、企業倒産によって流れてきた商品、盗難品などがバッタ物に該当。ちなみにバッタ物を売る者を「バッタ屋」と呼ぶ。
バッタ物の名前の由来
・バナナの叩き売りのようにハリセンをバッタバッタさせるから。
・昆虫のバッタのようにあちこちに店を移転する、もしくは商品を他の店へ次々と移動させるから。
等々の説がある。
目次
モノマネとブランドのコピー
最近ではめっきり見なくなったが、物まね番組のお約束といえば、物まねタレントが物まねを披露している最中、背後から「本物」がやってくるという演出だ(この手法は、コロッケと美川憲一が元祖)。
この演出手法は、「物まねしている▲▲よ、物まねされている●●さんはすぐ後ろで怒っているぞ」という、「ブランドを勝手にコピーしたことによって、▲▲は●●本人から制裁を受けるかもしれない(もちろんそんなことはないが)」という、ある種の危機感を面白がったものだ。
ただしこの場合、背後から売れっ子や大御所などの超一流どころが99.9%登場することはなく、たいていは夜中の通販番組でたまーに見るような、世間が半分忘れかけた人がやってくる。
時折、背後から現れた本物があまりにも老けすぎ、「後ろにいるコイツは誰だ」「物まねのほうが似てるじゃねえか」「この人、亡くなったんじゃなかったっけ?」「背後霊か…」という痛々しい事態を招くこともある。
商品のブランドコピーとは異なり、芸能界における物まねは、「稼がせてもらっているが、その代わりに宣伝してあげている」「稼がせてやっているが、その代わりに宣伝してもらっている」という、持ちつ・持たれつの関係、つまり「WIN=WIN(両者が得をすること)」の関係にあるといえる(元祖であるコロッケと美川憲一が、この方程式を築き上げた)。
しかし時に、あてはまらない場合もある。それはブランドを確立している、超売れっ子や大御所などの物まねだ。超売れっ子や大御所によっては、まれに「いつも宣伝してくれてすまないねぇ(笑)」という寛容な人もいる。
ただし中には、「大げさに目薬さしてキタァ~なんて、俺のイメージに傷が付くからやめてくれ」と抗議する、O田U二さんのような人もいる。
抗議するO田U二さんのような人はまだ序の口で、ロックの超大御所であるA吉さんは、ギャランティが発生する公での物まねを一切認めていない。
事実、過去には「僕はA吉さん本人から直接許可をもらっています」とショーパブで物まねしていたタレントに対し、A吉さんは、
「ふざけるな。オレ(A吉さん本人)は言ったかもしれないが、Y沢はそんなこと、一言も言っていない(ちょっと分かりにくい)」と肖像権侵害で告訴。Y沢ブランドという「ポリシー」を、徹底的に貫いている。
物まねに関し、「オレ(A吉さん本人)はいいけけど、(多数のファンに支持されている)Y沢はどうかな?」となったわけだ(A吉さんは、「オレ個人はOKと言ったかもしれないが、大多数のファンが許さないだろ?」と言いたかったと推測)。
香港カンフー映画にみるブランドのコピー
かつて私も、「コピーブランドに騙された」苦い経験がある。
私が小学校低学年生の頃、地元の映画館でブルース・リーの映画を上映していた。近所のスーパーマーケットでは「小学生以下は無料!(ただし大人1名以上同伴/大人は有料)」とうたったその映画のチケットを配布していた。
どうしてもブルース・リーの映画が観たくて、私は父親に、「無料のチケットを入手した。映画館に連れて行ってくれ!」と何度もせがんだ。
だが父親は、ブルース・リーにまったく興味がなかった。もしくは、現在では確実に詐欺行為に該当するであろう「大人は有料」という小さな文字を、目ざとく発見したのかは知らぬが、「疲れている」「忙しい」等々、適当な理由を付けて逃げ回った。
ブルース・リー、ブルース・リーと言い続けて二週間。執拗な私のブルース・リー攻撃に、いい加減うっとうしくなったのだろう。父親はシブシブながら、映画館に連れて行ってくれた。
映画が始まり、いよいよブルース・リーの登場となった。これまで写真でしか見たことのなかった私は、「アチョー!」と叫びながら格闘するリーを見て胸が躍った。
物語が進むにつれ、私は「おや?」と思った。どうもブルース・リーが、ブルース・リーではないのである。何というか、スクリーンの中のリーの顔が、雑誌やポスターで見たリーとは、微妙に違って見えたのだ。
次の日、友達から、「昨日お前が観た映画は、ホンモノのブルース・リーが出演している作品ではない。ブルース・リィというソックリさんが出演している作品だ」と聞かされた。
当時の香港映画の定番=パクリだったとはいえ、パチモノ映画だと知ったこの時の悔しさたるや、言葉では言い表せない。胸中、私は怒り狂った。
「詐欺やサギや。これは詐欺行為やんけ!」
「ブルース・リィなんて紛らわしい名前をつけんなよ、このボケぇがぁ!」
「別人やったらタナカ・リーとか、ヤマモト・チャンとか、もっと別の名前があるやろ!」
子供ながらにそう思ったものだ。
もしもアナタが熱狂的な長渕剛ファンだったら?
「ガキがチョコザイに」そう思う人もいるだろう。しかし想像してみて欲しい。
仮に、アナタが熱狂的な長渕剛ファンだったとしよう。
アナタは入手困難と言われる長渕のチケットをゲット。いざコンサート会場に出陣した。そして長渕登場。
しかし、ここで問題が発生。遠くに見える長渕が、何となく小さい。最初は遠近法による目の錯覚かと思ったが、横にいるギターリストやベーシストに比べると、目前の長渕は明らかに小柄なのだ。
いや~な予感がしたアナタは、恐る恐るもぎられたチケットを確認。すると
ミニミニ長淵コンサート開催!
虫眼鏡が必要なほど小さな文字で、ミニミニと書かれてある…。
そう、ステージで歌っているのは、長渕剛のそっくりさんの、ミニミニ長渕! あなたはミニミニ長渕のコンサートに来てしまったのだ。
その時、あなたは、きっとこう思うに違いない。
「なめんじゃねえ!」
「いつまで歌ってる!」
「金返せ!」
“ミニミニ”という文字を確認しなかった自分のミスにもかかわらず、そう叫びたくなるだろう。
もしもアナタが、気の荒い筋金入りの長渕信者であった場合。ミニミニ長渕及び関係者は、タダでは済まないだろう。
話は益々それるが、長渕剛本人にしたらどうだろう。
例えばチケットに書かれた名前が「ミニミニ長渕」ではなく、
「長渕岡」とか、「帳渕剛」などの名前だったらどうだろう。
「おいお前、紛らわしい名前を付けるなよ」と、長渕剛サイドから必ずクレームがくるはずだ。
こじれれば裁判沙汰。
下手をすると、「セイヤー!」という気合いとともに、ジムでの筋トレ及びフルコンタクトのキョクシン空手でボチボチ鍛えた長渕キックや正拳突きが、「きーたーえ~、みーなみえ~、ヒガシへニシへ、ぇぇいえぇぇ~セイヤー!(TBSのテレビドラマ・ボディガードより)」と炸裂することは間違いない。
しかしブルース・リーはブルース・リィに「アチョー!」と叫びながら強烈なキックを放つことはなかった。なぜならブルース・リーは、すでにあの世の人だったからである。
友達から衝撃的な真実を聞かされた夜、私は父親に、
「昨日の映画はニセモノやったんや! 俺らはだまされたんや! ホンモノのリーが観たいねん、観たいねん、絶対に観たいねん!」と駄々をこねた。
だが父親は、
「ほんまにお前は、うるさい奴っちゃのう! ホンモンもニセモンもクソもあるかい! どっちも似たようなもんやろ! リーかリィか知らんけど、そんなもん、どっちでもええんじゃぁぁぁぁー!」
とマジ切れ。時が今なら、近所の住人から確実に児童相談所へ通報されそうな、物凄い権幕だった。
父親にとっては、リーもリィも同じようなものだったのだろう。結局、私のこだわりは父親に届くことはなかった。
人間は好きなものにとことんこだわる。スマップの草薙剛はGパンにこだわり、ダチョウ倶楽部の寺門ジモンはクワガタにこだわる。また新沼謙治は鳩にこだわる。
興味のない人々は彼らを見て、「別にビッグジョンでもメスクワガタでも土鳩でも、何でもいいじゃねえか」と失笑してしまうところだろう。
しかし当人たちにとっては、『似たようなもの』なんて軽い言葉では済まされない。例えばこだわりのものがホンモノだと信じて疑わなかった場合、それが偽物だったと判明した時のショックと怒りは、日本国が抱える借金、八王子にある北島三郎邸、とまで膨大でないにしても、小遣い一か月分に値するほど大きいものなのだ。
私は大人になった今でも、ブルース・リーを見るたび、一挙手一投足までホンモノになりきろうとしていた、ブルース・リィを思い出す(まあ、リィ本人も、本意じゃなかったのだろうが)。
今にして思えば、「リーをリィだなんて、まったくいい大人が、姑息な手段を使うなよ」と思いつつ、クックックッと笑ってしまう。また、なぜだか分からんが、むかし中国の遊園地にいて問題になった、“妙に気持ちの悪い貧弱なドラえもん”が頭に浮かぶ。
大人になった今、ブルース・リーとブルース・リィの顔を見比べてみると、石原裕次郎を真似る、『ゆうたろう』以上、タモリを真似る『コージー富田』以下、ほどの違いがある(←我ながら分かりにくい)。
まとめ:コピーブランドを掴まないための心がけ
バイク用パーツにも偽物、つまりパチものが存在する。主に通販サイトなどを通じ、大手の人気ブランドのパーツが流通しているのだ。
バイクのブランド物のコピー商品は、主にアジア諸国で生産。コピー商品が問題なのは、単に「ブランドをパクッている」というだけでなく、商品自体が非常に粗悪であること。走行中にエンジンが壊れたり、フレームや足回りパーツにヒビが入ったり、溶接が剥がれたり等々、大きな事故、時として死亡事故につながる可能性があることを覚えておきたい。
バイクパーツに限らず、商品を購入する時は、
定価を遥かに下回る激安商品は、99%何らかの問題が潜んでいると考えてよい。
「安く買えて得したなぁ~」なんて思っていたのも束の間。すぐさま不具合が発生し、結局は安物買いの銭失いになる可能性大。
例えば世の中には、「儲かる話があるんだよ(だったらお前がやれ)」「儲かるから投資しないか?(再度、だったらお前がやれ)」等々、金絡みですり寄って来る輩が存在する。美味い話には、必ず裏があることを肝に銘じておきたい。